13歳の時、と聞いてみなさんはどんなことを思い出しますか。
私は、ちょっとした人生のターニングポイントにいました。
それまで取り立てて意味を考えたりしたことがなかった、
そうゆう“当たり前”のことが、そうでなくなった時でした。
そんなちょっとハードな生活が始まってから、
私は暇さえあれば音楽を聞くようになりました。
コンポなどで部屋中に音を流す、のではなく、
必ずウォークマンで自分の頭に直接流しこんでました。
音楽を聞くことで、
臆病な私は勇気あふれる若者になり、
聡明で夢にあふれ、自分次第で未来は変えられる、
人生は自分のものなのだから、という気持ちになれました。
今から考えると、そうゆう気持ちになるために、
私は音楽を欲していたのです。
私にとっての音楽は、当たり前でなくなった現実を
当たり前だった頃以上のものに変えるものでした。
そこで生まれる振り幅みたいなものに、
自分の居場所をみつけていたのだと思います。
ちなみに、今も昔もあまり変わらないのは、
聞く音楽が洋楽であること。
別に格好つけているわけじゃないんです。
あんまり意味もよくわからないような音楽を聞くことで、
振り幅ってぐーんと広がるんですよ(笑)
自分の知らない国、知らない言葉、知らないことだらけ
というのがいいんです。
流れる音楽と共に、
この国はどんなだろう、何と言っているのだろう、
と想像するところに、自分の未来に夢を抱ける気がするから。
そうやって好きな音楽に助けられながら私は、
“当たり前のものなんて一つもないのだ”ということを
じんわりと感じました。
それは少し寂しい気持ちにもなったけど、
同時に、“だからこそ大切にしなくてはいけない”という思いや、
“だからこそ、自分の人生は、自分の可能性は、自分次第なのだ”と、
優しく、静かに、そう感じることができたのは、
やっぱり、あの時聞いたたくさんの音楽のおかげだなぁって思います。
今では、ウォークマンとか身につけていなくても、
「今ならあの曲だな」と思うと、体のどこかでスイッチがかちっと入って、
どこからともなく、その曲が頭に流れる時があります。
どの曲が流れるかは、スイッチを入れているであろう自分にも
よくわからなくて。
今日のように、たまに13歳のあの頃の曲が流れたりすると、
こうして懐かしくもあり、新鮮でもあり、大切な人と再会したような
不思議な気持ちになってしまうのであります。