最近、私たち夫婦は子どものことを真剣に考えている。
と同時に「子どもは授かりもの」とはよくいったものだなぁと、
つくづく感じたり、また感じるような日々を過ごしているところだ。
そんななか、親戚のAちゃんから便りが届いた。
子どもができて、来月には出産予定なのだという。
本人が一番驚いている様子で、文面からその気持ちが
脈々と伝わってくるようだった。私に至っては、
やはり「授かりもの」という言葉の神秘を噛み締めていた。
結婚前、Aちゃんは卵管閉塞で、その症状の重さからみても、
妊娠するのはかなり難しいだろう、と医者から言われていた。
今後、結婚して妊娠を望む時に、また治療をしましょう、
ということだった。
それが、結婚してまもなく、自然妊娠したのだ。
夫婦二人、しばらくは水入らずで新婚生活を楽しもう、
と話していた矢先のことだった。
あれよあれよ、子どもは大きくなり、いつも元気溌剌。
たまに検診で見る3D超音波の画面には、あぐらをかいて、
ゆらゆら動く可愛い赤ちゃんが見られるそうだ。
うれしかった。
私も本当にうれしかった。
命は、時にはかなくもあり、
強くもあるのだなと思った。
そして、「子どもを授かる」ということは、
このAちゃんの赤ちゃんのことをから考えても、
私たちのように子どもを望む夫婦から考えても、
すごい確率の上に起こっているのだなと思った。
健康な男女がお互いの様々なタイミングが合って、
妊娠する確率は約30%だそうだ。
Aちゃんの赤ちゃんは、もっと少ない確率の上で、
ご夫婦のところにやって来たのよね。
そして、今こうして生きてる私たちもその30%か
それよりも低い確率の中をくぐり抜けて生まれてきたわけだ。
そう考えると、何だかすごいぞ、みんなすごい人たちなのだ!
と思えてきた。
今日の夕方、大きな交差点で信号待ちをしている時、
ふと向かい側で同じように信号が青になるのを待っている
大勢の人たちに目がいった。
あの人たちみんな、すごい確率のなか、生まれてきたのだよなぁ。
こうして今ここにいるってだけで、すごいことだよなぁ。
そのまんまの自分で、ずいぶんと、思った以上に、すごそうだぞ!
・・・などと、どんどんヒートアップしてしまった(^_^;)
顔には出てなかったと思うので、怪しい人物にはならなかったと。。。
どんどん欲張りになって、どんどん自分を何かにはめつけようとする、
はまってなきゃ不安になってしまう自分がいたりする。
そんなに焦ったり、そんなに急いだりしなくても、
きっと今の自分そのまんまがとても大切なのに。
お母さんやお父さんにとっての授かりものは私たち、
そして私たちにとっての授かりものは、まさに私たちの命かもしれない。
そうして次へ、次へと、繋いでゆくのかもしれない。
授かった命を大切に。
授かった自分を大切に。
そのまんまの自分を大切に。
。。なーんていつもの飛躍的な考えをはりめぐらせた本日でした。